三河つくだ煮の歴史
徳川家康は佃煮の歴史と深い関わりを持つ人物です。本能寺の変により
大阪からの脱出を試みた時、摂津・佃村の漁師たちから道中食として小魚煮を与えられた家康は、江戸幕府を開いたのち彼らを招き、隅田川下流の中州を与えて厚遇。彼らは故郷の名と同じ「佃島」を江戸の中州に築き、住吉神社の参拝客に振る舞った小魚煮は、佃煮として全国に広まっていくのです。さて、徳川家といえば「葵の紋」。この紋の発祥にまつわるゆかりの地が三河つくだ煮の街・豊橋の隣町にあります。享禄二年(1529)、家康の祖父・松平清康が吉田城を攻めた時、先陣を切って戦った伊奈城主・本多正忠は凱旋の祝宴を催しました。酒肴に敷いたのは水葵の葉。本多家の家紋も「立葵の紋」であったため、
清康は大変これを喜び、武勲を褒め称えるとともに「立葵の紋」を松平家の家紋としたのが「葵の紋」の発祥ともいわれています。佃煮発祥の祖ともいえる家康とのご縁を感じさせる歴史物語です。